中国の陶磁器について−歴史やおすすめの陶磁器−
中国の陶磁器の長い歴史
中国は陶磁器の祖といっても過言ではないくらい長い歴史を持ち、世界中へ輸出されることで影響を与えました。
特に知名度が高いものとしては「青磁」と「青花」があり、中国の古陶磁は今では大変な価値を持ち、コレクターの間で人気を博しています。
中国の陶磁器の始まりは新石器時代(紀元前)
中国の陶磁器の始まりは新石器時代で、中国の陝西、河南一帯などで、色とりどりの「彩文土器」が作られることとなります。
さすがに昔すぎてこのころの陶磁器は美術館級なので一般的な市場にでることはほとんどございません。
三彩や青磁が有名な唐時代(618年 - 907年)
唐時代になると長安で「唐三彩(とうさんさい」が作られるようになります。 釉薬に含まれた胴や鉄などの金属酸化物の炎色反応により、クリーム色、緑、茶褐色の3色の色がつけられます。
唐時代は王族の墓に埋葬される副葬品として作られたものが多いため、死後困らないように生活に必要なお椀や皿、淋しくないように動物や人型の置物が多く作られました。
この三彩は少し姿を変えながら遼三彩、宋三彩と続いていきます。
また、末期には越州窯(えっしゅうよう)の青磁が台頭し、秘色とも呼ばれる美しいオリーブ色の青磁は、日本に伝わり猿投窯や、高麗で模倣されるようになります。この越州窯は北宋まで続きます
ちなみに中国の陶磁器を唐物ということもございますが、これは「唐」というのが中国のことを指すのであって、唐の時代に作られたものということではありません。
陶磁器が最も隆盛した宋時代(960年 - 1279年)
宋代の陶磁器は宋磁とも呼ばれ中国の陶磁器が最も隆盛した時代です。
前述の越州窯青磁は北宋まで続きます。
宋代には有名な窯がたくさんあり、中でも5大名窯の定窯(ていよう)、鈞窯(きんよう)、官窯(かんよう)、汝窯(じょよう)、哥窯(かよう)は希少価値が高く、主に青磁が主流となります。
中でも汝窯は窯の稼働期間がわずかに20年間であったため、存在がとても少なかったのですが近年になり汝窯青磁と考えられる陶磁器が市場に出回るようになり、コレクターの間でも争奪戦となっています。
宮廷用の陶磁器を焼いた官窯は丁寧な作陶や鮮やかな青磁の発色が美しく、浙江省南部・龍泉窯の青磁は鎌倉時代~安土桃山時代には茶碗として重宝され、現代においても日本での高い人気です。
そして、日本でも大変知名度の高い国宝の曜変天目や油滴天目などの天目茶碗も南宋時代であり、建窯(けんよう)や磁州窯(じしゅうよう)などもございます。
青花と青磁の元時代(1271年 - 1368年)
元の時代になると白地に酸化コバルト(呉須)などの顔料で青い模様を描いた「青花(せいか)」が台頭します。
日本では「染付」と呼ばれる陶磁器で最も有名なのは元時代の景徳鎮窯(けいとくちんよう)からです。
青花が発達した一方で宋代の多くの窯は姿を消しますが、龍泉窯は続いて稼働しております。
元時代では釉が緑色に近くなり、器面に刻花などの彫り文様の装飾されるものも増え、日本では天龍寺青磁と称され高い人気です。
<龍泉窯 青磁鼓釘文三足鉢>
景徳鎮が主流の明時代(1368 - 1644年)
引き続き景徳鎮窯が陶磁器の生産の中心となりました。
その中で赤、緑、黄、青、黒の釉薬で彩色した五彩が人気が高まり、多く作られるようになります。
また、官窯の作品には「大明宣徳年製」のように年款銘入れられるようになるのも特徴的です。
景徳鎮の民窯では外国輸出向けに様々な種類の磁器が量産され、日本にも渡ります。
少し話がそれますが、日本では室町時代以降に茶の湯の流行とともに天目などの茶道具が遅れてこの時期に流行となります。
中国陶磁器の到達点、清時代(1616 - 1912年)
清時代は中国陶磁器の到達点とも言われます。 この時代でも景徳鎮が陶磁器生産の中心なのは変わらず、絵付けの釉下彩(ゆうかさい)が主流です。
西洋の七宝を応用し、粉彩や琺瑯彩と呼ばれる絵付けが開発され、磁器の器面に絵画のように細密な図柄が描けるようになります。
また、あまりしられていませんが、清朝では宋代の5大名窯の再現が景徳鎮でされており、特に哥窯や汝窯、鈞窯はそれぞれ仿哥窯、仿汝窯、仿鈞窯などと呼ばれ昨今では中国の市場に出回るようになり人気を博しています。
<清朝 哥窯花口碗>
<清朝 仿汝釉玉壺春瓶>
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